カチューシャおばさん

三石のおばさんがお亡くなりになったと、2、3日前に聞きました。
三石とは国分寺駅南口にある本屋さんのことで、おばさんとはその女主人のことです。
私の息子たちにおばさんの死を伝えると、みな一様にしんみりと黙りこくりました。
三石堂書店は、1969年に私が国分寺の叡の家に住み始める前からありました。
その頃の国分寺は、まだあちこちに藁葺き屋根もみられましたし、国分寺寺の裏のクヌギ林や広大な伽藍跡の原っぱは、自然のままで、夏になると泉から流れる清流に、ほたるがいっぱいやってきました。
高台に位置する国分寺駅前には、正面に古本屋さん、中華そば屋さん、ちょっと脇に「モンブラン」というお菓子屋さん、中央線を見下ろす線路際の道に美大生のたまり場カフェ「マントン」があり、改札を出て直ぐ右手に三石堂がありました。駅前とはいえ、とても静かでした。
パソコンも、ケイタイも、ファックスも、キャッシュカードも、アマゾンもありませんでしたので、我が家の本はもっぱら三石堂から、掛けで購入し、定期購読の雑誌、文学全集など発行されると直ぐにオートバイで届けてくれますので、とても調法でした。ですから毎月『暮しの手帖』や『婦人公論』筑摩書房の『現代日本文学大系』などを運んで来るオートバイの音が待ち遠しく、本を待つ喜びは一層でした。
三石のおばさんは、いつも花柄のスカーフをカチューシャにして帳場に座っていました。そのスタイルは一生変わらないものでした。
私が三人の幼い息子を連れて新宿の実家に里帰りする時、末息子を乳母車に乗せて、上の子二人を歩かせて、坂道をふうふうしながら上り、駅までたどり着くと、三石のおばさんは、必ず「置いていっていいよ」と言ってくれました。乳母車を店の横の端に、帰りまで置かせておいてくれるのです。本当に助かり有り難いことでした。
息子の話では、ドイツから帰国し、国分寺駅から電車で学校に通うようになって、雨の日に傘をもたずに三石堂の前を通りかかると、いつもおばさんが店から出てきて「忘れ物なの。さしていきな」と傘を手渡してから「お母さん元気?」と言ったそうです。
私は、おばさんについて名前も家族のことも何も知りません。いつもカチューシャをしているおばさん。ただそれだけです。
でも、カチューシャおばさんとは深い深いつながりがあり、今でも、これからも深くつながっているのです。
おばさん、国分寺駅がどんなに変わっても、いつも大空から見ていてくださいね。