石井恭二さんの訃報

11月30日の夕方、現代思潮新社の川辺さんから、現代思潮社元社主の石井恭二さんの訃報が届けられた。享年83歳。特にこの一年叡の心にはいつも石井さんのことが気になっていたようで、「今度一度訪ねようね」と口にしていただけに、思いがけない訃報に接して、最期のお別れも逸してしまい、叡にとってはことのほか無念な思いだろう。
石井恭二さんが出版したマルキ・ド・サド作/澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』が、発禁処分になり、石井さんはわいせつ文書販売等の罪に問われ、裁判が始まったのが1961年、69年に最高裁で有罪が決定された。その係争中の8年間は、火山のマグマが噴出し続けるようなエネルギーが、世の中に渦巻いていた。当時まだ20代だった叡は、大野一雄先生の稽古場で踊りの稽古を始め、土方巽さんと出会い、それまでのダンスの概念をひっくり返すような土方さんの舞台を共に体験し、澁澤龍彦さんはじめ多くの芸術家、詩人などと知り合うことができた。
どういう経緯かすっかり忘れたが、多分1970年頃のことだと思う。ある日、当時石井さんがお住まいだった小日向にお宅に招待され伺うと、そこにはすでに、埴谷雄高さん、澁澤龍彦さん、龍子夫人が集まっておられた。石井さんが「本日は平安朝時代の食事を嗜む集いです」との挨拶があり、石井さん自らひとつひとつ供される食事の品々の説明があった。私は、珍しい食べ物にびっくりしたり、戸惑ったりしながら、一方で、その場で交わされる会話のおもしろさに引き込まれ、その場の心地良さは今でも思い出せるが、もったいないことにその時に何が話されていたのかすっかり忘れてしまった。まだまだ未熟な私だった。
数少ない叡の著作のうち、『天使論』1972『聖霊舞踏』1977『神々の黄昏』1979 の3冊は、石井さんの元から生まれた。その後、すでに現代思潮社を退かれておられたが、石井さんの計らいで、写真集『銀河革命』を現代思潮新社から2004年に上梓した。
前を歩いていてくれた人が、いつの間にか消えて行く。その人の存在のぬくもりだけを私の心の中に残して。決して消えない存在のぬくもり。なんと素晴らしいことか。
「ありがとぉ〜」いくら叫んでも、すでに言葉はとどかない。