私の靴

須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」に誘われて、すっかりマルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」にはまってしまった。
……われわれはみな人間的条件の狭い限界からのがれたとと信じ、獣の姿で殺されるとも、人間の姿で獣を殺すとも見える神そのものに同化して、自分が自分自身であると同時に敵であるかのように感じた。………勝利も敗北も、同じ太陽から発するそれぞれ異なった光線として、まじりあいもつれあっていた。……(多田智満子訳)
なにしろ、我が家の庭に造った天使館は、ハドリアヌス帝が自身と一族のためにローマに建設した霊廟 聖天使城の名前に由来しているんだもん。それに、ローマの友人マリアピアは、私たちがローマに行く度に、車で市内をぐるぐると案内してくれた。彼女を訪ねて何度ローマに行ったことか………。光の色、微風の感触、木々の葉の微かなざわめき、人々の笑い声、テベレ川を巡る車の列、クラクションの音………トラステベレの落ち着いた小さなレストランのランチタイム。私の体に広がるローマの記憶。ああ また行きたい!
「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」とはじまる「ユルスナールの靴」でも、私の足にきっちり合った靴はただ一足。両足10本の指がくねくねとからみあってお団子のように変形した足が履ける靴を、20年以上前に靴屋さんにオーダーメイドして以来、ローマ、ナポリ、シチリア、ドイツ、アメリカ………どこに行くにも、雨の日も、雪の日も、いつも唯一の靴で歩いてきた。
今私は、多田智満子さんの素晴らしい訳に魅せられて、2000年前のローマの光、微風、樹々の陰翳………の中で、賢帝ハドリアヌス帝、すでに四半世紀前に彼方の世界に旅立たれたユルスナールと共に歩いている。

私の唯一の靴
私の唯一の靴