自爆テロは最終自己表現か 14

梵天の中に宿る神我は、観照者、傍観者であって、宇宙の基盤をなしている霊体、魂体、肉体の三つの「体」を生み出している根本原質(プラクリティー)には一切、関わりません。三つの成分はプラクリティーから発生します。霊体から純質が、魂体から激質が、そして肉体から翳質が生じるのです。四ヴァルナ制度を生み出す元の力は、霊界においては天火水地ですが、この力は神々もそれに従わなければならない、仮象の根源を生み出しているのです。「原物質(プラクリティー)から生じたこれら三種の成分から解放されるような存在者は、地上にも、或いはまた、天上の神々の間にもいない」このクリシュナの言葉は、天において、神々も仮象に従わなければならない、ということを意味しているのです。梵天と共に働く神我、プラクリティーの変化には全くかかわらない神我から見る時、原物質プラクリティーとの関わりは、仮象との関わりなのです。けれども、それが仮象であるからといって、プラクリティーの活動を停止することは決してできないのです。神々はこのことを「天上の行為」として引き受けているのです。すなわち「悪を演じている」のです。神々が天火水地の働きに関わるのは、演じられた悪としてです。一方、人間がこれに関わる時には、「演じられたもの」ではなくて実体として受け取るのです。クリシュナがアルジェナに戦いを前にして語るのは、このことなのです。仮象であるプラクリティーの活動は、天火水地を生み出し、そしてその力を地上に流し、人間にこの仮象によって生じる悪の力を全部ゆだねようとするのです。