記憶が、今のわたしを温めてくれる

クリスマスが近づくと、あぁ ドイツに行きたいなぁ〜、東京の冬の青空も好きだけど、空気が凍るように冷たくなり、日毎に夜の闇が深くなるドイツの冬もいいなぁ…‥と、心の中で、シュツトガルトの森を描いてみる。
ところで、明後日私は76歳になる。朝「びっくりするほどの歳の数だよね」と食卓の向こうのアキラに話しかけると「びっくりするほど中身は成長していないね」とおっしゃる……そう言うあなただって……と心のなかで言いかけたけど……。私がアキラと初めてあったのは、16歳の時。あっという間に60年が過ぎてしまった。その長い時間を私は何をして来たのだろうか。多くの素晴らしい人たちに出会い、教えられ、導かれてきたと思っていたけど、あまり深く考えずに生きて来てしまった結果だから、中身が未成熟なのは仕方がない、と自分に相変わらずの情けない言い訳をしながら、カートにつかまりながら散歩に出た。陽が傾いて冷たくなった風が顔に当たって気持ちがいい。歩いていくうちに、今まで出会った人たち、書物の中の人たち、どこかで耳にした言葉、読んだ言葉、詩の言葉……が頭の中を風になって過ぎって行く。太古からの死者たちの記憶が、今のワタシを温めてくれている。
   おまえはわたしたちの……
おまえはわたしたちの幾何学ではないか、
窓よ、わたしたちの巨大な生をう
やすやすと区切る
いとも単純な形よ。
わたしたちの愛する人が、
おまえの額縁に
囲まれて姿をあらわすときほど、
美しく見えることはない、ああ窓よ、
彼女をほとんど永遠にするのはおまえだ。
あらゆる偶然は除き去られ、存在が
愛のただなかに身を置いている、
まわりのすこしのこの空間と共に
人は存在をわがものとする。
       R.M.リルケ 『窓』より  高安国世訳