いよいよ梅雨入りのようだ。まだ陽があったお昼前「駅に新しいパン屋さんができたので、散歩がてら買ってきたの。食べてみて」と久しぶりに玄関先に現れた和子さんが、疾風のように去っていった後、何時の間にか音もなく雨が降ってる。ミツが中庭から「市役所に行くから、何か買い物ない?」と聞きにきたので「ジャガイモと葡萄ジュース」を頼む。テレビでは国会中継をやっている。
書架の端にあった黒田三郎詩集をとって読む。
けし
I
私の上にのしかかる
私の重さに
耐えかねて
憤然として立ち上る
や否や
貧血を起してぶっ倒れる
ああ 何時かとおい日に
私は立っていたことがある
ただひとり
白い果てしない野の中に
真昼
微かにけしが匂っていた
黒田三郎「失われた墓碑銘」から
ああ 懐かしい黒田さん! 神保町の路地裏の古びた建物の二階の狭い昭森社の編集室で、詩人の清岡卓行さんと長田弘さんと貴方と三人の編集で「詩と批評」誌を刊行し始めた時、私はまだ何も知らない新入社員でした。お酒が入ると、優しく温和な紳士の黒田さんが、突然、おどろおどろしい黒田さんに変貌、びっくりでした。でも、その翌日は何時も、狭い13階段を音もさせず上ってきて、編集室の扉を開け、大きな背中を丸めて、ショートケーキのお土産をそっと差し出すのでした。またもや、びっくりする変貌ぶり。でも、何と優しい温かな人なのだろうか……!?
今日、忘れていた黒田さんの言葉に触れて、あの時の温もりが今も私を温めてくれているのに気がついた。相変わらず、のろまだなぁ〜わたしは。