2008.3.14

私の心の中にいつも大切にしている詩句がある。
―貧しさは、内面からさす美しい光である―リルケ
“内面からさす美しい光”は、どんな色をしているのだろう?
先日、嵯峨野にお住まいの志村ふくみ先生から、4月に東京で行われる展覧会のご案内を頂いた。久しぶりにお会いできるのはとても楽しみだ。その上、先生の“色”に直接触れることが出来ると思うと、今から心が踊る。
ふくみ先生からは、多くのものをいただいてきた。その“色”から、その“ことば”から、そして先生の存在そのものから。
何年も前、私は極度の鬱病を患い、数年間を「死の世界が私の生きる世界」という世界で過ごした。自分の外側は、全て色を失ったモロクロの世界。人からも 世界からもはぐれてしまい、言葉も失い感情も失い、硬く閉ざされた世界の中で、石のように固まってしまった私の身体の中に、何かが流れ始めたと感じたの は、春先に咲いた水仙の黄色い花を目にした瞬間。闇の身体に光がさし込む。不思議な体験だった。それは正しく志村先生の「草木の精は、命ある色を内に宿し て、いつでも人間のために捧げる用意をしていてくれる」というメッセージそのものだと思った。
私が全てのものから切り離されて、たった独りで闇の中に沈んでいた時でも、草木の精たちは、内なる光を限りなく降り注いでいてくれたのだろう.
「草木から命をいただく」という先生のことばには、うつくしく生きる人間のあるべき姿が込められている。