昨日、渋谷から田園調布行きのバスに乗って、駒沢公園に隣接する国立医療センターの眼科の診察を受けに行く。三軒茶屋、上馬、用賀辺りには親戚があり、子どもの頃よく亡くなった母に連れられておばさんの家など訪ねた記憶があるが、もう半世紀前のこと、当時の面影は全く無い。
眼科で思い出すのはドイツに住んでいた時のこと。ドイツの11月も末になると、外は寒さがまし闇が深くなるにひきかえ、人々の内は幼子イエスを待ち望む喜びの火が灯り明るく暖かになって行く。そんな11月末、私は町の眼科医に「このまま放っといたら目が見えなくなりますよ。すぐにチュービンゲン大学病院に行きなさい」と宣言された。〈目が見えなくなる〉と何度も口ずさみながら家路に急ぐ私の周りは、突然黒々とした闇ばかり。それにしてもドイツ語って何と強く響くことか、などと言っている場合ではない。翌朝未だ夜が明けないうちに叡と一緒にチュ―ビンゲンに向う。
汽車で一時間。夜明けの美しさなどに目もくれず一目散に目的地へ。当時チュービンゲン大学の眼科はとても優秀で、全国から患者が集まると聞かされた。病院に着くと、異常に待合室は患者で溢れている。聞くと、看護婦のストで手薄らしい、と判明した。受付の手続きから全て初めての上、初級ドイツ語は役立たず、他の人を観察するしかない。二人でどうにかカルテを作ってもらい待合室で待っていると、女の人がやってきて「充分時間がありますから、町で食事をしてきてください」という。そんなに簡単に言われたって!と思っても反論出来ない。再び市電で町の中央広場まで戻る。
泉を中心にした美しい石畳の広場には朝市が出ていて、その周りをレストランやカフェが取り囲んでいる。私たちはその一つの店の二階の窓際に陣取った。頭の中に〈目が見えなくなる〉がぐるぐるしているので、会話は無い。ぼんやりと外の市を見て時間を費やし、再び病院へ。まだ一杯待っている。結局私の番は一番最後で、辺りは家を出た時と同じようにすっかり闇に覆われてしまった。最後の二人はボーデン湖からやってきた赤ら顔の太ったおじさんと私.並んで診察を待つ内に、親しく話しかけてきた。「あんた、何処が悪いんだい?ナニ、わしは大したことないのに、医者が行けって言うもんだから、4時間かけてやってきた。もううんざりだ。これでやっと帰れる。お互いもう少しの辛抱、辛抱」やけに陽気だ。それに引き換え私の心は増々落ち込んで行く。
“医学はドイツから”と言うだけあって、先生の診察はとても丁寧かつ親切だった。看護婦も不在で超超過勤務にも拘らず、決して急がず沈着冷静なのには感心してしまった。診断はこうだ:今のところ大丈夫だが、近眼なので網膜剥離を起こす可能性があるので、一年に一回診察を受けること。
やれやれ終わったぁ~嬉しくて身体も軽く、速くかえろ~と二人で階段を下りて行くと、先ほどの赤ら顔のおじさんが、青くなって「直ぐ入院だって言われた。即レーザー光線をしなければならないらしい。もう一発やってもらった。ああどうしよう!
妻に電話だぁ~」とわめきながら、階段を駆け上がって行った。
さて私たちは、駅で最終の汽車を待ちながら、芥子付きフランクフルトソーセージを食べる。ところで、朝から放ったらかしにしている3人のお子さんたちはもう寝ているかな?もう四半世紀も前のことだ。
さて、昨日は国立医療病院の眼科の診察を受けながら、あらためて光工学の進歩や技術の進歩の速さを思う。