2008.5.27

今週末から二週間はローマとナポリだ。叡も私もイタリア人と相性がいいのは、彼らの体型がわれわれの胴長短足の典型的日本人の体型と似ているとうこともあ ろうが、なによりイタリア人のあの人なつっこさと陽気さが気に入っているからだろう。かのゲーテ大先生ですら、イタリアを南下するに従って、勤勉実直なド イツ人気質がしだいに溶け始め、ナポリの地では“全く違った人間になったような気がする”などとおっしゃっている。
ローマは5回目だが、今回ナポリは2回目。先回宿を提供してくれたのは、ヴァレンティーナ。彼女は大学で薬学を修め、癌の薬を研究しながらドクターを目指 している、輪廓のはっきりとした瓜実顔で切れ長の目をした、東方教会のイコンの聖母(ラファエロのでは決してない)のような美人。その彼女がナポリのゴタ ゴタした石畳の狭い道を、暴走族顔負けのスピードで車を飛ばすのだから、ますますカッコイイ。或る日の昼下がり、ナポリで彼女のお気に入りの場所に案内し てくれた。ナポリ滞在中のゲーテの部屋とか、発掘中のギリシア・ローマ時代の神殿の柱などを眺めながら海岸に沿って車を走らせて着いた所は、Logo d’Averno(アベルノ湖とでも読むのか)という小さな火口湖だった。人影もなく静かな湖畔の右手に、アポロ神殿の遺跡が見えた。ギリシア時代にナポ リ(ニューポリス)を植民地にしたギリシア人が建てたのだそうだ。彼女の説明によると―アポロ神殿と直線で結んだ対岸には「GROTTA della BILLA」(地獄への門)があり、ローマ時代そこには巫女たちが住んいて、しかも湖は熱湯で煮えたぎっており、また神殿と門を結ぶ対角線上は磁力がはた らいている―そうだ。湖畔を回って「地獄への門」まで行くと、茫茫と木々が生い茂った細い湿った道の奥に小さな洞穴が残っていた。その昔巫女たちは、目前 に迫る湖の煮え立つ熱湯の渦をみながら、遥か対岸の太陽に輝くアポロ神殿を仰ぎつつ、暗い洞窟の中で狂乱のダンスに耽っていのか、などと想像を膨らませて いると、ヴァレンティーナが「アキラとヒサコがここに来た初めての日本人かもよ」と言った。ホントかな?ホントだったら光栄だ!夕暮れも迫り、火口湖のあ るPOZZUOLI市を後にする。
日本に戻って、私の唯一無比のイタリア旅行案内書ゲーテの『イタリア紀行』で確かめると、あった。1787年3月1日にゲーテはプッツオリ郊外に散策に出かけ、その夜の日記に記す。
“見るも無残に荒れ果てた千古の栄華の跡、煮えたぎる熱湯、硫黄を噴出する洞穴、草木の育たぬ灰燼の山、不毛の不愉快な地域、そして最後にはそれと打って 変わった四時鬱蒼たる植物が、一寸の地でも隙間さえあれば生い茂り、あらゆる死に絶えたものの上に蔽いかぶさって、沼沢や渓流のまわりにもはびこってい る”
200年の時を飛び越えて、ゲーテの驚きが、今、活き活きと新鮮に伝わってくる。