2008.9.22

「世界的ステージのために設計されたエスプラネードはシアターとしてはもちろん、様々な料理が楽しめるお食事スポットとしても有名です」とシンガポール観光ガイドにあるエスプラネードの中の劇場で、叡が「花粉革命」を踊った。9月12、13の二回公演。
スタジオを表す表札には、英語、マレー語、中国語、アラブ語の4つの言語が並んでいる。空港に迎えにきてくれたのは、現在マスメディア・コミュニケーショ ンを学んでいる女子大生で、日常会話程度の日本語ができる中国系のクレアさん。彼女に尋ねると「シンガポールでは英語が日常語です。でも私日本語をもっと 勉強したいです」と言った。車の運転手とクレアの話しっぷりは、中国語そのもので、英語の単語はちっとも聞こえてこない。かろうじて、右、左は聞き取れ た。後で聞いたのだが、そういうのをシングリシュと言うそうだ。
先月行ったブラジルも人種が混血されていて様々な肌の色の人が共存していたが、シンガポールはどちらかというと、人種が入り乱れること無く仲良く共存しているようにみえた。コスモポリタンとはこういうのを言うのだろうか?
公演の主催者の、やはり中国系の青年プロデューサーであるキムセンさんに「自分と国とのアイデンティティは何処にあるのですか?」と誰かが質問したら、彼 は「自分はずーっとこの国に住むつもりはありません。今ここにいるだけです。つまり、シンガポールはトランジットの国です」と答えていた。
滞在最後の日、シンガポールに英国の東洋の基地を建設したラッフルズ卿に因んだラッフルズホテルに行ってみた。さすがに古風で落ち着いた気品に満ちた趣深 い雰囲気で、サマセット・モームやジョセフ・コンラッドが投宿したというのも頷ける。彫りが深く理知的な面立ち、漆黒な肌にターバンを巻いたインド人の サーバントたちは真っ白な制服で身を包み、植民地支配者である西洋人に至れり尽くせりの世話をしたのだろう。
熱帯の木々を生い茂らせた中庭で籐椅子に座って、注文したアフタヌーン・ティーを待ちながら、最先端の国際都市シンガポールに残っているヨーロッパ植民地 時代の面影を、この高級ホテルに感じながら、キムセンさんの「シンガポールはトランジットの国」という言葉を思い出した。
空港まで送ってくれたクレアは、「私、来週ソウルに留学します。韓国語の勉強のためです」と言った。
私は「もう少し、日本語をがんばってからにしたら」と言いたかったけど、まあいいか・・・