ギリシャ悲劇『オイデュプス王』を観に行く。

昨夜「パルテノン多摩」になおかさんの車に乗せてもらい、ギリシア悲劇「オイデュプス王」を観にいくことができた。一昨年同じ劇場で初演を観た。今回はその再演。16人のコロス役にダンサーとしてミツタケが参加している。
ミツタケから「ヒサコサン、よく筋書き読んで………複雑だからね………長いから眠らないように」………という助言をもらい………真っ白の「パルテノン多摩」大ホールに向かう。車椅子席に落ち着き、集音器をつけ………しずかに明かりが客席から舞台にフェイドチェンジする。舞台上には天井に向かって細くなっていく階段がみえる……舞台が明るくなり………コロスたちの踊りがはじまり……主役のオイデュプス王の長台詞の声が場内に響き渡ると………観客の視線が舞台に集中し………劇場空間が一つの球になっていくよう……その温かい球のなかで、不覚にもわたしは夢を見た……ローマのパンテオン宮殿の丸天井から差し込むひかり………B.C.600年から円形劇場で演じられ…‥今日も演じられるギリシャ悲劇………すごい!なんてぬくぬくしながら………集音器に入ってくる演者たちの台詞を聞いたり、時々夢をみたりしながら………コロスたちのうねりのような熱の踊りで終わった。面白かった………思い切って観にきてよかった!
古代ギリシアでは、煌めく星空のもと野外の円形劇場で上演したという。現在のアリーナで行われるエンターテーメントのようなものと言えるかな。みんながますます困難になっていく日常の人間関係から解放されて、みんなが思い思いに愉しめる時間。
古代から現代まで人間関係の苦しみ、かなしみ、喜び……は変わらない。

そして、3年前の今日2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。
その日、初めての天使館公演『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』の出演者全員揃っての通し稽古の初日だったが、出演者複数にコロナ感染者が出たために公演初日の前日まで全員ディスタンス、稽古なし。公演前日の3月2日に保健所の公演許可が降り、無事に公演を実行できた。幸いだった。

あれから3年、ますます人間関係は難しくなっていく。

9

ゼルマの詩

ベル・エポック(Belle Époque)=美しい時代………敗戦前夜に生まれて80年の間、今日まで、戦争もなく、ひどい天災に見舞われることもなく、自由に、楽しく、わがままに、いいたいことを言って、生きてこられたのは、偶然にわたしに与えられた「Belle Époque」というもの。幸いに感謝しなくては!

でもこれからは、わからない。世界は懲りずに憎しみあいを続けている。19世紀末の「Belle Époque」が世界の崩壊に傾いて行ったように………地球船は人間をのせて何処にむかってくのだろう…………。

強制収容所で死んだ、チェルノヴィツ生まれの少女、ゼルマ・M=アイジンガーが15歳で書いた詩。

 色彩
雪白の雪の上はとても青く
緑の樅の木々はとても黒く
静かにかけていく鹿が
どうしても断ち切れない悲しみのように
灰色にみえる

雪の調べに足音がぎしぎしとまじる
風が白いヴェールをかぶった木々に
雪片を吹きもどす
ベンチが夢のようにたたずんでいる

光たちが落ち 影とたわむれるー
果てしのない輪舞
遠くの灯火が雪明かりから借りた
くすんだ光をまたたいている      1939年12月18日 15歳4ヶ月

ゼルマの生地は、現在のウクライナ。戦争はいつ終わるのだろうか?

新しいタイヤ

手術を決めて張り切って大病院に乗り込んだ昨日。車椅子を押してくれるヘルパーの律子さんと病院内をうろうろしながら5時間を費やした。
今日は冬にもどったように寒くて冷たい日。もう間違えても自分の体にメスを入れようなどとは考えることはやぁ〜めた………お隣さんの梅が満開………春はもうそこまで…………史跡公園の桜も待っててくれる。

わたしの魂をのせて50年走り続けてきてくれた私のリウマチ車も、ついにkaputt(壊れた)寸前。修理工場に行って修理工場長に「魂の重みに耐え得る車に修理してください」とお願いしたのです。すると、工場長さんは車のあちこちを調べていいました。「車体も相当にくたびれていますから、お望みのように修理しても………果たしてエンジンがかかるかどうか………そぉ〜と、タイヤ交換したらどうでしょう」というわけで、私のオンボロ車に見合った新しいタイヤを作ることに決めました。車体を壊さないように新しいタイヤでノロノロでも止まらないように走れれば………❣️

新しい靴ができるのを夢見ながら…………。

楽しみが待っててくれる。

金曜日「手術を決めた!」と大見得を切ったものの久しぶりの関節手術………今回は足の親指なので今までの関節の修理修繕ほど大きくない………とは思うものの………明日のリウマチ外科を受診を心に思うと緊張気味。

そこにフェミニストの千章さんが開口一番………「パウル・クレーの顔見たことある?久子さん」………と元気にやって来た………そういえば、画家の顔は見たことないなぁ………日本でクレー展を観たのは鎌倉美術館で叡と結婚した頃のこと、帰り北鎌倉の澁澤龍彦邸に寄ったのを思い出したのに………繊細で美しく温かい透明な色彩のクレーの抽象画はすぐに目に浮かぶが画家の顔は思い出せない。

現在、愛知県立美術館で開催中のパウル・クレー展を観てきた千章さん「額が広く、大きな瞳、鋭い視線………あのがっちりしたハンサムな男の顔と『天使の涙』の結びつき、びっくりだわ」と。
ついでに、スウェーデンの画家ヒルマ・アフ・クリントのアジアで初の大回顧展が国立近代美術館で3月初旬から6月まで開かれることも教えてくれる。優しいな………こころが温まる。観に行きたい!

親指の手術をクリアして、我がポンコツリウマチ車、もう少しがんばって走っておくれ。

志村ふくみ先生の裂

今月号の岩波書店の小冊子「図書」表紙は、志村ふくみ先生の栗と矢車五倍子で染めて織られた《室内》と題した古裂。栗色の方形に、矢車五倍子色の縦の線、横の線が微妙な間隔で入っている。見ていると遠くにある部屋に引き込まれていくような感じがして不思議だ。

以前、よく嵯峨野のふくみ先生の仕事場を訪ねた。大きなお部屋の突き当たりの小さい庭に藍がめが仕込んであり、長い廊下には織り機に草木で染められた無数の縦糸が織られるのを待っているようにしかけられていた。
部屋の棚の大きな籐の入れものには織り物の切れ端がいっぱい入っていた。帰り際、先生は籐の入れ物のなかから織りの切れ端を下さった。

昨年の九月に先生はお元気で百歳を迎えられたと聞いた。懐かしい思い出。

頂いた「裂」でブックカバーを作った。いつもそばにある、今日も。

手術を決めた!

春うららのような陽気。午前中、叡に車椅子を押してもらい、知念医院に。お鷹の道沿いのサザンカの花びらがちらほらと清流にながれていく。真っ青な空に向かって欅の枝が広がって…気持ちいい!
春が来る…「手術を受けよう」と閃く。手術は真っ平、なんて言っている場合ではない。
あるかねば!
梅、桜、沈丁花、レンギョウ、ミモザ、ライラック、小手毬、つばき、ハナミズキ、木蓮、桃、杏、躑躅、紫式部、紫陽花、百日紅…

日が暮れて、なおかさんがマイケ-ファ-(🐞)のチョコレートを持って現れた、バレンタインのプレゼントですって❤️すっかり忘れてた。まだまだ楽しいことがやってくる。、
あるかねば🐜

情けない気分、飛んでいけぇ〜

くの字に突起した足の親指のテッペンが膿んで噴火口のようだったのが、知念先生に処方された抗生物質を飲んでやっと瘡蓋になったのに、二日間靴を履いて歩いたら、また噴火口になってしまった。がっかり。もともと関節リウマチは免疫体の病気だから、いつも傷口は治りにくい。
歩かなければ、どんどん脚の筋肉は衰えていく。親指の噴火口から菌が入ったらたいへん。手術は真っ平ごめん。全てが綻びていくような情けない気分に浸っている時、和子さんからメールが届いた。

………近くの池に白鷺が棲みついて、青鷺、小鷺もやってきます。カワセミも枝に止まって鮮やかな青色で空を切るようにダイブする姿を見せてくれます…………

とあり、美しい鷺の写真が添付してある。彼女は毎日彼らに会いに池に行くらしい。鷺はスピリチュアルな鳥で、幸せを招く鳥だとも。

私の覚書帖から
「………ひとは兵隊が存在するためには子供が必要だと考えている。兵隊は子供を殺戮し、大地を灰で埋める。私はロシア人だから、大地がどういうものか知っている。私は耕すことは出来ないが、大地が暖かいことや、暖かさなしでは、パンが存在しないことを知っている。………」『ニジンスキーの手記』(市川雅訳)

情けない気分、飛んでいけぇ〜。

言葉が宇宙でダンスする。

宏佳さんの詩はいつもスリリング。だから好きだ。ことばが、パァと変身したり、ふわふわ浮いたり、落下したり、コロコロ転がったり、急にあたらしく生まれたり………詩人の体から純で簡素な言葉がスルスルでてきて………宇宙でダンスしているみたい…………いつのまにか私の体も宇宙船に乗せられている。面白い!

同人詩誌「void 11号」の招待席に掲載された宏佳さんの詩。

 予感の夏  小松宏佳

「ちいさい金魚が
 けんめいに
 宙を泳いでいる
 すとん
 と落ちたりぷはっ。
 と鳴いたりする
 しずかに窓をあけると
 空気は透明なゼリーである
 金魚のひれは
 さような
 らと 書いている
 ひとふり ひとふり
 遠い体を予感する
 緑が道をあけてまっている」

やっぱり、小松宏佳は「宇宙人」だ。

左足の親指の関節が赤く盛り上がり腫れてきた。もう手術は真っ平!と、朝いちになおかさんの車で新井薬師のシュークリニックに向かう。20年以上前に、お団子みたいに変形した私の足でも履けるコッペパン型の革靴を作ってくれた靴屋さん。私の靴のカルテもあった。ありがたい。親方の客に阿ない職人の矜持は20年前と全く変わらない。以前は無駄口を叩かない「おっかない親方」も歳を重ねて穏やかに。よかった!

朝イチで出たので、帰り車のなかは春先の陽気でポカポカ。久しぶりに走る玉川上水に沿った五日市街道。桜並木も枝を思いっきり広げて気持ち良さそう。

またこの街道を車で走れるかな?…………ふっと思った。

私の唯一の靴(2021年2月9日撮影)

みんな高貴高齢者!

久しぶりに、みな子さんからLINEが入った。お元気そうで………よかった………途中で他所から電話が入り、おしゃべりは一時中断。その続き、コロナ禍で中止されていた看護のボランティア活動の再開(4年ぶりだそうだ)のこと、四月の歌の発表会で三曲トクさんの伴奏で参加することなどを、LINEで送ってくれた。

病院で看護のボランティアをするみな子さん………トクさんの伴奏で歌うみな子さんの真剣な美しい眼差しを目に浮かべて、うれしくなりニコニコひとり笑い。

お昼過ぎ、ヘルパーのリツ子さんが食卓に「煮魚、ポテトサラダ、お粥、スープ………」を並べてくれた。
美味しそう!早速いただく。デザートにと九州の友人が送ってくれた無農薬の蜜柑をむいてくれる。

みな子さんもリツ子さんも私も…………みんな高貴高齢者⁉️

夜、玄関に届いた本『僕には鳥の言葉がわかる』を読み始める。朝の外歩きで鳥たちとおしゃべりしたいから。

キラキラ光る氷の柱

一週間ぼど、朝の外歩きをしなかった…………その理由は名古屋に行ってたから…………その言い訳はもう通用しない。今日から寒くなる………とニュースで聞かされている………ますます、布団の中に潜り込みたくなるけど、ますます、歩けなくなる不安が大きくなる………ユルスナールの言葉「習慣には祭儀的なものがあり………最後には個人を超えるものになる」を口の中で唱えて………エイィ!と起き上がり………外に出る。

おお冷たい………空気は新鮮で美味しい………突き当たりの道を右に曲がると………短く刈り込まれた萌黄色の草地一面に、小さい透明な氷柱が、早春の朝日をうけてキラキラ輝いている。この冬初めて霜柱を見た。美しい!重たい頭を上に向けると、桜や、欅や、くぬぎの木の枝々が、ふっくらと灰色に膨らんでいる。春はもうそこまで………。

変形した足の親指の皮膚が革靴に擦れて膿んできた。歩くと痛い………訪問看護医の佐藤先生から、関節に菌が入ったら大事になる、と早い手術を勧められている。が、もう手術はやりたくない。

春になって暖かくなると全身の血流が良くなり、親指の腫れも引いてくる。もう何年も繰り返してきたことだが………もう限界かな…………革靴を履かなければ………でも、履かなければ、外にでられない………やがて、歩けなくなり………水平生活に逆戻り!

はてどうしたものか? 頭の中がぐるぐる回る。

 

春にむかって。

叡の名古屋講座に同行して、4日間家を離れ帰宅して、今日で2日目。やっと自分の日常(自分のからだと向き合う生活)の戻る。ゆっくりと、名古屋での三日間をお思い返して目に浮かべてみる。

もう二度と来ない時間。フィルムを巻き戻すように出会った人たちとの会話が、一瞬一瞬、記憶の層から現れて、今の私のカラダに生きたリアリティーを与えてくれる。

想いと行為がずれていく。自分のカラダと会話する。身体は正直で可愛い。想いは欲張りで威張っている。

春にむかって、想いも可愛い笑顔でカラダに向かおう。

みんなの熱をもらって……。

今日、東京を出る時は、冷たい風が心地いいほど春めいた陽気だったが、ここ名古屋に着いて、車椅子で駅に降りると「寒い!」と思わず肩を縮こませた。明日から三日間叡の名古屋オイリュトミー講座(年2回30年以上続いている)。名古屋からはもとより、東京から、新潟から、京都から、福岡から、松江から、岐阜から、時には仙台から………あちこちから参加者が集い、三日間午前・午後・夜と「実習と講義」を、畑を耕すように自分のカラダと魂を黙々と熟す。三日間の講座のお終いには、練習した音楽と言葉のオイリュトミーの成果を参加者の半々で、お互いに見合う。その時が、感動的だ!一音一音を失うことなく、全体が和音になってみえてくるから。

「カラダ」って摩訶不思議だな、明日からの三日間が楽しみ……と思っていたら、明日、東京から参加する千章さんからメールで、歴史学者が語る「ホロコーストとパレスチナ」という情報を送ってくれた。大切な考察。

今日は、国分寺から原さんとご一緒できた。壊れそうなわたしのカラダも、みんなの熱をもらって、危ういところで壊れない。

春近し

早寝早起きを励行しようと決意したが、一向実行できない。もう今日は10時過ぎ。せめて今日のことを書き留めておかなくては。

朝の外歩き。いつもの1時間のコースを、なんと45分で回る。途中、八朔の木のある家の門で、そこの家の主婦が「おはやいですね」私の歩く速度を言ったのだろう。「これ召し上がります?」と、木から大きなハッサクの実をとってくれた。パッとカラダの中に爽やかな甘酸っぱい風が過ぎる。

午後、天使館オイリュトミーシューレを卒業した松生さんの車で、藤野シュタイナー学園高等部の体育館まで。微かな光をおびた薄曇りの空にむかって、春を待つ林の枝が拡がっている。体育館では、高校生にオイリュトミーを指導している禮示を中心に4人のオイリュトミストが企画した「芸術体験 『オイリュトミー』」。目前で披露されるオイリュトミーを、高校生たちはかなり集中してみていた。いい芸術体験だっただろう。
「特に本公演をご覧いただく高等部の皆様にとっては、日頃のオイリュトミーの授業で練習している動きが数多く出てきますので…………普段稽古している動きの意味や、自分の作品への活用の仕方のヒントになれば幸いです」とプログラムにあった。

今日は、モーツァルトの誕生日。長男チカシの出産予定日だったが見事に外れ、55年前の節分2月3日に生まれ…………春近し。

忙しい一日

3日朝の外歩きを休むと………心が分裂する………歩きたい/歩きたくない………Aufhebend………と布団のなかでぐずぐずして、やっと起き上がる。
今朝の外は、北風で冷たかった………よしよし、歩けるじゃん………と心のなかで安心する。

イスラエルとハマスが人質を解放し始めた。とりあえずよかった。双方の人質全員が解放されるまで続いて欲しい。相手を否定し合っていては、いつまでも戦争は終わらない。

昼間、テラに腸もみをお願いし、続いて訪問美容の加藤さんに髪をカットしてもらい、短いどんぐり頭になり、さっぱりした。ありがとう!

夕方、叡のオイリュトミー初伝講座に来た千章さんがちょっと顔を見せてくれた。彼女はいつも光に向かって思考している。いいな!

天使館で初伝講座が始まった。私の覚書帳にあるユルスナールの言葉をまた書き留めておこう、明日の朝のために。

「習慣のなかには祭儀的なものが有るからです。起きて台所に降りて火を点し、小鳥たちに餌をやり、テラスから太陽を見上げる、それは一種の祭儀であり、最後には完全に個人を超えるものになるのです。」

星空に包まれて………。

冷蔵庫の製氷器が故障、暖房が点かない………次から次と故障し始める………機械に意地悪されているみたいに。
幸い冬場だし、大寒とはいえ3月並みの暖かさ………氷も暖房も切羽詰まってはいないので………「即日解決!」なんてネットに出てくる情報に惑わされず解決できた。よかった!

シュトゥットガルトに住んでいた頃は、もちろんネット社会なんてなかった。
中央駅から市電で銀の森を抜けてリーデンベルクの駅で降り、イゾルデクルツ通り52番の我が家に向かう途中、左手に大きな老人ホームの高層ビル、右手には広い草地があった。ある冬にしては生暖かい春を思わせる夜、その広い原っぱに小さなサーカス団が休んでいた。団員たちは思い思いの格好をして、タバコをふかしたり、草地に寝っ転がり、満天の星空を眺めたり。檻の車に動物たちもいたと思う。原っぱの向こうは漆黒の森。目を凝らして見ていると………アレ、アレ、アレ………星空から、スル、スル、スル………金のブランコが降りてきて、薄いピンクのワンピースを着た痩せっぽちの女の子が、星空に包まれ夜風に揺れて、思いっきりブランコを漕いでいるのを見た。
翌朝、日が昇るとすぐに草地に行ってみた。サーカス団の車も人もいなかった。もちろん、星空からのブランコなんてあるわけない。でも、アレは夢だったの?

今でも心の中にはっきり浮かぶ情景。もう半世紀近く前のことなのに。

「わがまま」で行こう

飛ぶ鳥跡を濁さず………とありたいけど………飛ぶ鳥跡を濁す………仕方ない、これで行こう。日に日に指の力、腕の力が薄くなっていくので。あちこちにゴメンネ、と思いながら「わがまま」でいこう。

トランプ大統領の就任式

大寒とはいえ、暖かい1日。先週末、横浜まで遠出した余波がようやくおさまって自分のペースに戻ることができた。

トランプ大統領就任式の一大パフォーマンスをテレビで観た。善し悪しを超えて、出来る出来ないは問題外、人々の魂に熱風を吹き込む。シンプルで分かりやすい言葉………自信満々な動き………ガッチリした肉体………カッコいい振り付け………すごいソロダンス?………面白いけど、これからが本番………どうなることやら!

悠治さんと叡の即興セッション

金曜日の夜、久しぶりに天使館で、悠治さんのピアノ、叡のダンスで、即興セッションを観る。翌日、横浜の赤レンガ倉庫で行われた「JaDaFo Dance Talk2025」のシンポジウムで、前日の悠治・叡のセッションを観た詩人の椌椌さんは、ふたりのことを「ふたりのモンスター」と称した。確かに、86歳と81歳。すごい。

シンポジウムのには、お天気で暖かかったので、横浜線に乗って車椅子で行った。JRの障害者対応はとても行き届いているので、安心で、ありがたい。帰りは、色とりどりのイルミネーションが夜空に浮かぶ美しいヨコハマの夜景を見ながら、車椅子で桜木町まで。

冷たい朝

今週は72候の暦で「きじはじめてなく」というらしい。小寒につづいて、来週は大寒。今日の朝歩きは冷たかった。

ハン・ガン『少年が来る』を読み終える………。

「過去が現在を助けることはできるか?」「死者が生者を救うことはできるのか?」
ハン・ガンさんのことばが私の胸に直球を投げかける。

今日の朝日新聞の大見出し「尹大統領を拘束」ー戒厳めぐる内乱容疑ー…………。

明日の朝も「歩く、歩く、歩く」と唱えながら、冷たい空気を胸いっぱい吸って、歩こう。

 

 

初めての油絵

朝方、キャンバスに向かって油絵を描いている夢を見た。
ずいぶん以前、まだ絵筆を持つことができた頃、突然、絵(それも油彩の)を描きたくなり、公民館の油絵教室に申し込んだ。月に2回公民館に通って、夢中になって油彩画を描いた。色を重ねて、重ねて………次の朝、下地から浮かび上がってくる色を見るのが楽しみだった。前日の夜の光のなかで………これはすごい!………と喜んだ色は、明るい朝の光のなかでみると、なんと凡庸で、つまらない色!と、いつもがっかりした。それでもめげずに、数年間油絵を描いていた。やがて、指の変形が進み、硬くなった絵の具のチューブが出せなくなり、筆を持つことが困難になり………少しも上達しないまま、絵を描くことをやめた。今でも、物置にガラクタになった私の油絵が何枚も入っている。

今朝、夢から覚めても嬉しい気分がつづいた。あの頃より、もっと自由になって絵を描けるかもしれない、と想うだけでも楽しい………。

9時に外に出て歩き出すと、ヘルパーの小笠原さんが「おはよー、ヒサコサン」と言いながら自転車で追い越していった。お仕事に行くのだろう。
なぜか今日は鳥の鳴き声がなかった。


初めての油絵「バラ」

岩波書店『図書』1月号が届く。

「若き詩人へ」 

裂は私の心であり旅路である。
裂と常に一緒に今日まで生きてきた。
辛いときも寂しいときも、
裂をともにすることが、私には最大の慰めだった。
裂は友達であり、自分の魂でもある。
     *
裂はどんなに小さくなっても、
語りかけてきます。
やさしく、愛らしく。
     *
あまりに身近で気づかないかもしれないけれど、
裂はいつもいつもあなたたちの心を、
優しく包んで守ってくれる。
裂を大事にしてください。       (志村ふくみ・染織家)  
                      岩波書店『図書』1 2025 より

ハン・ガン『少年が来る』を読む。

さみしくなると、和子さんに電話する。自分勝手で、ご迷惑な話だと思うけど………彼女の「は〜い、こんばんわ」という透き通る声を聞くとホッとするので。

身体のあちこちが奇妙にねじくれてくる。だんだんと壊れていく身体………考えても仕方ない………外側から自分を観察すると……意外と面白い自分を発見し………だんだんとたのしくなって、愉快になって………笑顔の自分に変わっていく………。

日が暮れて、ハン・ガンの『少年が来る』に引き込まれる。言葉にできない不思議な感覚。呼吸するように身体に入ってくる。

木漏れ日のなかを歩く。

昨日、年賀状をいただいた方に、せめて「元気にしております」とお知らせしたいので、寒中のお見舞いを書いて投函できたので、一安心。

午前中、車椅子を押して桜の木々の木漏れ陽のなかを歩く。冷たい風が心地いい。頭上すぐに……キキィキキィ……と鋭い鳥の鳴き声。今日は鴉の声は聴こえない………ここは穏やかで静かだ………地球上の至る所で生きる場所を求めて、多くの難民が右往左往しているというのに。

韓国の光州事件は1980年5月18日に勃発したことを、この度ハン・ガンの『少年が来る』で知った。ちょうどその1ヶ月前の4月19日、私たち家族5人は揃って、当時西ドイツ・バーデン-ビュルテンベルグ州の州都シュトゥットガルトに移住し、美しい森に囲まれた郊外のアパートメントで異国の地の生活を始めた。ハン・ガンと同年生まれの長男は、弟2人を伴って、すぐ近くにあるEichenheim(オークの森)で終日戦争ごっこをして遊んでいた美しい日々。

いつまで歩くことができるかわからない。いつ骨が崩れるかわからない。でも、今日のような穏やかな日を与えられたことは幸いというより他にない。

  世界はなぜこれほどに暴力的で、苦痛に満ちている?
  と同時に、世界はなぜこれほどに美しいのか?

ハン・ガンのこの2つの?マークに応えてくれるのは………未来から吹いてくる記憶の風かもしれない………。

何もできない私にできることは、風にむかって歩くことだけ…………。

子どもたちのことば

「どこまでいっても、闇ダァ〜」と長男チカシ。「夜は暗くてコエェ〜よう」と次男レイジ。「あっ、くみひんだぁ〜」と三男ミツタケ。幼い息子たちが思わず発したことば。忘れられない。

チカシは、冷たい冬のドイツの森の中で。レイジは、闇夜の国分寺で。ミツタケは、煤けた漆喰の天井に映るひかりの水たまりをみて。

「くみひん」は、三人だけの共通言語。
「komm hin」こっちにおいで、という意味?
天に浮かぶ光の水たまり?
三人にしかわからない。

雨の日

明日は七草粥を食べる日、とヘルパーの山内さんが薄暗く小雨の降る中を帰っていった。そう言えば、ドイツで今日は「神さまが顕れる日」(エピファーニアス)だ。日本では明日、神さまがおかえりになる日。

久しぶりの雨。カラカラの東京にはいいお湿りだけど………静かな一日。

岡真里さんの『世界』の記事「ナクバという《ジェノサイド》抗すべきは「大量虐殺」だけではない」を読み返す。かなりの長文。イスラエルがガザ地区の大学、大学教授たちの多くを、爆撃で絶滅していく。文化、教育機関の破壊の恐ろしさを叫ぶ岡真里さんの必死な声がわたしの魂を揺さぶる。

ハン・ガン 「光と糸」(ノーベル文学賞受賞記念講演)のなかのことばを書いてみる。

 現在が過去を助けることはできるか? - 過去が現在を助けることはできるか? 
 生者が死者を救うことはできるのか? - 死者が生者を救うことはできるのか?
 
 世界はなぜこれほどに暴力的で、苦痛に満ちている?
 と同時に、世界はなぜこれほどに美しいのか?

キッチンに座って、背もたれに重たい頭を委ねて、瞼を閉じ、頭のなかで、岡真里さんのガザの現状を想像してみる。ハン・ガンさんのことばを反芻する。頭のなかで四つの?マークがぐるぐる回っているうちに、うとうと夢をみていた。気がつくと隣で、叡がニンニクを炒めて、パスタを作っている………何もできない私だけど、まだ歩くことはできる。鳥の声を聴ける。道端の小さい花は見える………。

正直に生きるのは難しい。

今、1月3日の23時24分。あと36分で新年の三が日も終わる。今年の密かなわたしの抱負は、自分の言葉で正直に書くこと………自分を正直に生きること………だったのだが。
自分でもびっくりするほどの速度で、身体の機能を失っていく………といっても、それが自分の正直な現実。

どんどんどんどん時は素早く飛んでいく………反比例するように、欲深い自分がみえてくる…………いいではないか、自分のなかにたっぷり時間があれば…………なんて、殊勝な自分もみえる。正直に生きることは難しい。
八十年も生きてきて、まだまだダメな自分に出会う。

もう直ぐ、1月4日になる。さあ、夢の世界でのんびり、のんびり。


小さな包丁を購入して、胡瓜、ミニトマトのカンタン酢漬けを作ってみたくなった。簡単だけど超難しい!

お正月

春うらら……おだやかなお正月。お昼前、史跡公園をまわり1時間ほど歩く。途中で車でお出かけのお隣さんのご夫婦に会い、新年のご挨拶をする。玄関の謹賀新年の松飾りも我が家だけ。遠くで太鼓の音がする。
今年はどんな年になるのだろう? もう一歩、歩きだした………新しい時間にむかって。

「こころに うかぶ ことば を
 そのまま かけば いい
 そのまま こえに だせば いい
 あたまで えがいた かたち を
 そのまま えがけば いい………」

なんて、ぼんやり考えながら、キッチンに座わり中庭に目をむけて、叡の用意してくれたおせちを食べる。


鳥の美しさ。奇跡のよう。

 

 

大つごもり

わたしの10歳年上の長姉は、生前大晦になると必ず黒豆を煮て、弟妹の家族みんなに分けるのが彼女の喜びだった。艶やかな漆黒の黒豆、それはそれは美味しかった。その姉が亡くなってからもう何年になるのだろうか?

今日は2024年の大晦日。朝日が高くなってから、史跡公園周辺をいつも通り車椅子を押してひと回り。
車も少なく、人影もなく、何処の家も音もなく静まり返っている。1人だけ、スーツケースを引っ張って分バスの発着所に急ぐ男の人とすれ違った。仕事納めをして地方の実家に帰省するのだろう。

外歩きから帰ると、あきらがキッチンのガラス拭き、玄関の掃除………に取り掛かる。わたしは何もできない。
いつもキッチンに座って中庭を眺めるだけのわたしは、新しい年になっても何も変わらず、キッチンに座って中庭を眺める日々をおくるだろう。

窓拭き、外回りの掃除を終えたあきらがキッチンに顔を出した時、中庭の杏の木、天使館の白い壁が、静かに闇の中に消えていくのを、透明になったガラスをとおしてみえた。


帽子をかぶった自画像 2024/12/31

今年の一年

今日からお正月三ヶ日まで、ホームヘルパーさんはお休み。冷蔵庫には、ラップで包んだスープの材料(じゃがいも、人参、玉葱)、チンすればいいだけのお惣菜が入った小さな耐熱容器に数種類並んでいる。その他、きゅうり、トマト、カブ………などの生野菜の酢漬け、生協で頼んだおせちが少々。お休みする間、わたしとアキラが困らないようにヘルパーさんたちが用意してくれた。これで安心。ありがたい!

今日の朝日に、2024年の一年の出来事が時系列で載っていた。わたしの一年は?と目を閉じて思い浮かべてみたけど、何も思い浮かばない。今在ることにリアリティを感じられれば「良し」と思っている。

スケッチブックを開いてみたら、今年の6月6日の色あそびがあったので………

色遊びをする。

机の引き出しに、STOCKMARの蜜ろうクレヨン16色の箱を見つけた。子どもたちがヴァルドルフ学校に通っていた頃、ランドセルに必ず入っていたクレヨン。懐かしい。

年の瀬、周りじゅうが忙しい時。煤払い、おせちの準備………わたしは何もできず、キッチンに座っている。
そうだ!色遊びをしよう。上手く鉛筆も握れないけど………やってみた。


八十歳の誕生日にいただいた花籠をもって。

悲しい時、さみしい時、色はいつもわたしを慰めてくれる。

わたしの部屋

消費税が8%に引き上げられる前に、耐震対策もできない古い家を壊して新しくした。それまで、私の居場所はキッチン。子供たちが自由に行き来する場所に座って、目を見張る。みんなで食事をする。縫い物も、洗濯物を畳むのも、夜、子どもらが寝静まると、そこで、家計簿を付け、本を読み、手紙を書き、日記をつける。キッチンがわたしの場所だった。
新築の家には、玄関脇にわたしが待望していた「小さなわたしの部屋」を作った。リウマチで立ったり座ったりが不自由になりつつあったわたしにはとても快適な空間。嬉しかった。
さて、ゆっくり本が読めると思いきや、あきらの海外ツアーの仕事で、ほとんど家を空ける日々が続き………わたしの待望の部屋も物置と化して、今に至る。やっぱりわたしの居場所は「キッチン」だ。

みんなが忙しい年の瀬。掃除も洗濯も食事作りもできなくなったわたしは、読みたかった本を「小さなわたしの部屋」から持ち出してきて、キッチンに座って衰えた視力を頼りに読む。わたしの年の瀬の1日。

正直な自分

何事もなくクリスマスが過ぎていった。

カードに絵を描いてあの人に贈ろう………小さなクッキーをあの人に………美味しい蜂蜜はあの人に………たくさんの想いが次から次と湧いてくるけど、その想いをとどけられない自分に気づく。正直な自分ってどこにいる? 

朝の身体は絶望的な鉛のカラダ。どこに希望があるのだろうか? まだ何かを求めるの………オカシイヨ!
正直な自分になろう………子供の頃の自分。カラダと心がぴったり重なっていた………時間も空間もなかった………生きることに正直だった懐かしい自分を思いだしながら………カラダと心がずれてしまった今の自分だからこそ………ほんとうの自分がみえてくるかもしれない………正直な自分になろう。

昼下がりのお喋り

ふっと、身体の力を抜いてみる時がある。すると、肩に力を入れて、やたらと急いでいる自分が見えてきて、自分で可笑しくなる。

今日の昼下がり、久しぶりに、加代子さんと和子さんと三人でお喋りする。40年以上も同じ時間を同じ方向に向かって歩んできた友人たち。後期高齢者になった今も同じ方向にむかって「今の時代」を歩いている。歩きずらい時代、でも、同時代の人たちと一緒に歩いていかねば!

2人のお友だちとお喋りしている時、ふっと肩から力が抜け、身体が軽くなった。肩に力を入れて急ぐことはない。みんな共に見えない糸で引っ張りあって生きている。

3人のおしゃべりは尽きない。

シジュウカラに合う。

朝食を済ませて急いで外に出ると、もう11時だ。明るい日差しではあるが、北風がぴゅーぴゅー寒い。
風に吹き寄せられた道路の朽葉をカサカサと踏み付けて車椅子を押していく。右膝の人工関節が重い。指先が冷たい。風は怖い。でも何かにむかって歩く。何処に向かって?確かなのは、今、自分が歩いていると感じていることだけ。怖いのは風だけ。心のなかは無感動。

自動車道を一羽の小鳥が歩いてきた。頭をピョコピョコ忙しく動かして、コンクリート上の何かを啄んでいる。白とグレーのツートンカラーだ。青色の筋が少し見える。直ぐ前の私には気づかず、すっかり道路を横切って、横道に行ってしまった。

家に帰って、Safariで国分寺の鳥を検索してみた。国分寺で観察される鳥は多いそうだ。私があった小鳥はシジュウカラだ。写真で見ると、とても美しい。光がある。

冬至

今日は冬至。冷たい冬の闇が深まってくると、およそ四半世紀前のドイツの生活が懐かしくなる。

ちょうど今頃になると、毎年隣村のパゾットさんは、彼の息子ロベルトとチカシを連れて、車でシュベービッシュアルプにクリスマス用のもみの木を採りに行き、プレゼントしてくれた。

お向かいのバーバラ・ベルガーさんは、今頃はシュトレンやクッキー作りに忙しく、降誕祭当日、我が家の三人の男の子、バーバラの一人息子クヌーツ、幼稚園のお友だちを招いて、ローソクで素敵に飾ったテーブルを囲んで、みんなでケーキを食べ、ワイワイと楽しいクリスマスのお祝いをした。

外は凍てつくような寒さ………うちは温かいひかりに包まれて………子どもたちのたのしい笑い声………。

あの時からかれこれ25年の時が過ぎて、今日、またドイツ東部の都市のクリスマスマーケットに車が突入。多くの犠牲者が出たとニュースで見た。数年前、ベルリンで同じ事件があった。

わたしのドイツのクリスマスは夢だったのか? 

スゥーと闇から光へ。

名古屋の中村眞貴子さんが緑のコーデュロイのバルーンパンツを作ってくれた。早速履いてみる。タップリと履きやすく暖かい。普段着にするのは勿体無い、と思ったけど、今はお出掛けすることは滅多にない。ならば家のなかでおしゃれしよう。気分が変わる。

毎日、一人でキッチンから中庭の葉をすっかり落とした杏の木を眺めている。新聞は気が滅入るような記事が多い。買い物もAmazonで、銀行関係もネットバンキングで、手紙もメイル、LINE………すべて、机上のiPadでことが足りる。電子書籍で読書もできる。一人外出禁止の私にはありがたい………でも、あぁ〜疲れる!
今日もネット注文中、文字がスゥーと飛んでいってしまい、突然闇のネット世界に落とされた。緑のバルーンパンツのルンルン気分もスゥーと消えて周り中が掴みどころのない灰色世界。不安と焦燥でiPadの文字盤をあちこち叩いているうちに、スゥーと光の世界に戻った、まるで奇跡のよう。
でもどうして?そのプロセスは永遠にわからない。

去年巣を作った杏の枝に鳥が戻ってきた。かなり長いこと止まって、あちこち眺めている。つがいの一羽も飛んできて、お喋りしている………小鳥さん、何を喋っているの?………一羽がスゥーと飛び去ると、つづいて一羽もあとを追い、冬空のなかに消えさった。

私の身体は有機体

建物も立派で最高の設備が整っている総合病院は、病人にとって救いの場所だ。多くの人が、自分の病んでる箇所を取り除いてくれる人に出会えれば、と期待に胸を膨らませて総合病院を訪れる。男、女、子ども、乳児、年齢もさまざまだ。受け入れる病院側も、医師たちも大変。期待と応答は必ずしも一致しない。

わたしの病歴は長く、半世紀になる。私という1つの肉体のさまざまな箇所が少しずつ病んでくるという厄介なリウマチ。総合病院では、頸椎は頸椎の医師、手は手、足は足、気道は耳鼻科………私の身体を部分に分けて、その専門分野の先生に治療してもらうことになる、というのが総合病院を受診してみて分かった。統一体である私の身体は有機的に結びつき動いているのに、限りなく部分に分かれていく。…………

先日読んだ新聞記事。
「デカルトの説では、精神以外のものはすべて物理法則に従う物質で、人間の身体さえも客体だ。それを冷徹に分析し利用する自然科学や、身体を部分に分け治療する医学が発達した。この説は身体も意識も持たない人工知能(AI)に行き着く。身体を通さず情報だけを組み合わせて体系化するAIに大きき依存する未来こそ、デカルトの描いた世界のとうたつてんではないか。それはディストピアになりかねない。」
朝日新聞 「科学季評」山極寿一 (2024/12/12)より

今日は2時間かけて、5年前膝に人工関節を入れてくれた先生を訪ねると、会うなり「わぁ〜よく来たね」と
一言、満面の笑顔で迎えてくれた。触診もしてくれた。患者の話に耳を傾けて、レントゲン写真を見ながら、納得のいく説明をしてくれた。細切れでない私を診てくれる先生だった。
早起きし、2時間かけてやってきてよかった!

冷たい朝 感じたこと。

冷たい朝だ……こわばった身体のなかの筋肉が重く感じる………でも、身体は前に前にと進んでいく………わたしを置き去りにして………歩く、歩く、と呪文を唱えると、置き去りにされたわたしが消えて、目の前に「歩く」「歩く」が歩いている………わたしは何処?とおもった途端、大きなごみ収集車がわたしの脇を通り越して走って行くのが見えた。

80歳のはじまり

冬らしい日がやって来た。80歳になって2日目、自分でも驚く歳になったな、とあらためて80の自分を眺めてみる。30歳の頃に関節リウマチを発症してから、今では、いつの間にかアタマとカラダが、蓋がきちんしまらない茶筒のようになってしまった。それでも家の中をヨロヨロ危ういバランスをとって歩いている。1日一回外にでて自分が乗る車椅子を押して、叡の見守りのもと1時間くらいは歩く。そんな時、カラダは頑張っている、バラバラのアタマとカラダが協力し合っている、と感じながら。

ここまで書いた時、千章さんからメール。12月11日にyoutubeで配信されたという真鍋祐子さんの「韓国文化と民主化」の音声。千章さん「音声のみ1時間余り、かなり厳しいリアリティーが伝わってくる」と添え書きしてくれた。

さて、アタマだけ動かすとカラダが怠ける………という不安があるけど………でも、韓国のことも知りたいし、ハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』を読みはじめたことだし………まぁいいか………とキッチンの椅子にどっかり座り込むと玄関のベル。ヨイショと立ち上がり、斜めになって玄関まで。名古屋の中村眞貴子さんからの宅急便だ。叡の名古屋オイリュトミー講座のチラシと私のための「真貴子手作りズボン」。 わたしの大好きなコールテンの生地、しかも美しい緑色の。暖かそう。うれしい‼️

みんなに支えられて、80歳がはじまった。ありがとう。

天使館で『へーつー』を観る。

天使館で、素踊り:西村未奈 音楽:梅原徹 『へーつー。』ダンス現在vol.36を観た。企画者であるミツタケから、事前に「ヒサコサン、ゼッタイ ネムルカラ………ムリシナクテイイヨ………ネムリナガラミテモ イイヨ」と言われた。そんなにはっきり言われると、内心憤然としたが………時々やってしまうので、反論できない。

さて、はじまった。
そもそも『へーつー。』ってどういう意味?
意味なんて聞くのもオカシイかしら? チラシの言葉からしてなぞなぞ。

「天使館は魔境。
 素体で消えてみる。
 地図であってもなくても迷宮。
 素揚げは何がなくて、おいしいんだっけ?
 どんなささやかな衝動も無理しない。
 大丈夫。
 へーつー。(平痛!)
 すって、はいてっ。
 (素って、歯痛てっ!)」

居眠りするどころではない………一生懸命、ダンサーの動きについて行くと、急にパンチを喰らい拒絶され………突然、頭の上から声が出て………未奈さんのカラダと意識が、わたしのなかに出たり入ったり………よくわからないけど、とても面白いものがみられて大満足!

ミツタケ君ヨ………ワレヲ ロウジン アツカイ スルナカレ!

朝の自問自答

12月は、毎日時間が飛ぶように過ぎて行く。瓶の蓋がぴったりと閉まらないように、頭と首から下がズレていてピッタリいかない。
頭で思うことの殆どが、飛んでいく時間からこぼれ落ちていく
………あれあれあれ………
あっちにも、こっちにも、失礼、欠礼、ばかり!!!
でも、できないものはできない、ごめんなさぁ〜い………
にっこり笑って………瓶に映った笑顔のお多福さんを見て大笑い。

冬の青空のはるか遠く、瓶の蓋がズレたままの壊れかかった凧が飛んでいる!
あっ わたしだ………やっとベットから起き上がり………さぁ 新聞を読んでから………

中山美穂さんの急死。チカシと同い年。1970年生。「幼稚園でいっしょだった」と、大人になってからきいた。まだ54歳。
ノーベル文学賞のハンガンさん(1970生)韓国の非常戒厳令に大きな衝撃。10日オスローでの授賞式を前にして。時代はどっちに向かっている?
その日、私は80歳になる。

外歩きはおだやかな陽射しのなか。8日に史跡公園でマラソン大会があるらしい。みんなで準備している。
チカシの幼稚園の冬のマラソン大会も史跡公園だった。あの亡くなった美穂ちゃんも走ったかな?
悲しいことがいっぱいあるけど………笑顔のお多福さん、楽しいこともいっぱいある。

朝の自問自答。

宮沢賢治『貝の火』を読む。

昨日、北鎌倉に住むオイリュトミストの松山由紀さんが来訪された。お久しぶりで嬉しい!話はすぐに、時間的には重なってはいないけど、Stuttgartでオイリュトミーを通して出会った共通のドイツ人や異国の友人たち、街や森の風景………の話で盛り上がる。由紀さんは、来年2月に行う彼女が主宰する「アルコ・ムジカ」のオイリュトミー公演『貝の火』(原作:宮沢賢治)の美しいチラシを持ってきてくれた。
早速、青空文庫で賢治の『貝の火』を読んだ。

「今は兎たちは、みんなみじかい茶色の着物です。
野原の草はきらきら光り、あちこちの樺かばの木は白い花をつけました。
実に野原はいいにおいでいっぱいです。
子兎のホモイは、悦んでぴんぴん踊りながら申しました。
…………………………………………
「泣なくな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣なくな」
 窓の外では霧が晴れて鈴蘭の葉がきらきら光り、つりがねそうは、
「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と朝の鐘を高く鳴らしました。」

お父さんのことば………「それがよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ」………よかったね、ホッとする。

ホームヘルパー原さん

2年間休まず水曜日に食事介助に来てくれていたヘルパーの原さんが、突然来られなくなってもう1ヶ月になる。倒れて救急車で病院に運ばれたらしいと聞いたけど、その後の様子は誰に聞いても誰にもわからないという。
2022年の5月から毎日、寝たきり状態だったわたしの食事介助に5人のホームヘルパーさんがローテーションを組んできてくれている。原さんはその1人で、わたしと一つしか違わない後期高齢者(他の方たちもみんな似たり寄ったりの同世代)。初期のメンバーが今日まで変わらず続いているので、ほとんど運命共同体になってきた。壊れていく身体に食べ物を口に運んで与えてくれるという、最もプリミティブな行為が、寝たきり状態からわたしの身体を徐々に救い出してくれた。ヘルパーさんと会話をすることで、どんなにか励まされてきたことだろうか!

原さんは今どうしているのだろうか? このまま何も知らされず、何事もなかったように過ぎていくのだろうか? 祈るしかないのだろうか? あまりにも悲しすぎる…………。

もうじき80歳!

師走………時間がどんどん飛んでいく………恐ろしい………肩の力を抜いて………胸いっぱい空気を吸って………ゆっくり、くちびるをすぼめて、静かに吐く………そのままでいいよ………と自分に向かって言ってみる………。

午前中の外歩き。生協の受け取りを叡に頼んで、桜の園から一人で歩く………携帯を持ってない!失敗………でも後戻りはダメ………前に進もう…………小春日和の暖かい日を背に受けて、木漏れ日の道をゆっくり歩く………気持ちいい時間…………1時間かけて、無事家まで戻った………深呼吸する。

日がな一日、柄谷行人さんの、定本『日本近代文学の起源』の続きを読む。第1章「風景の発見」第2章「内面の発見」まで。難しくて何度読み返してもスッキリ入ってこないけど、惹かれるものがある。なぜだろう?
明日また、読み返してみよう(相変わらず藤村の『夜明け前』は面白く読み続けているのに)。

夜、叡が分厚い本『昭和精神史』桶谷秀昭著を持ってきてくれた………面白そう。
今月の10日に80歳になるわたしに、こんな厚い本を読む時間は残っているだろうか?
今まで、何してきたんだろう。今になってわ少しずつ霧が晴れてくる。
カラダは死のほうへ、気持ちは生きるほうへ、分裂している………明日になってから考えよう…………おやすみ。

ジェームス・ボンドの映画を観る。

明後日からアドベントが始まるというのに、今日も麗らかな小春日和。このままこの暖かさが続きますように、とお祈りしたいけど、冷たい冬を越さなければ春は来ない、というのが自然界の摂理。人間の手には負えない。

携帯のiCloudのストレージが満杯の警告が出るので、いらない写真を消去するため、1年前、2年前と遡って撮った写真を眺めていると、その時の情景がリアルに浮かんでくる。今より元気だった自分………写真はその時の全てを映し出している。

夕食後、国立の町角ホールにオイリュトミー公演を観にいく叡を見送ってから、よし!久しぶりにiPadでprimevideoを観ようと思いつき、あと数時間でプライムが終わるというショーン・コネリー演じるジェームス・ボンドの「ロシアより愛をこめて」を鑑賞。まぁ、イスタンブールを舞台に、バンバン派手に人を殺すわ、建物を爆撃するわで大騒ぎ!もちろんロマンスもありで、面白かった。20代の頃の自分を懐かしく思い出す。

あの頃、よく洋画を観た。ジェームス・ディーンの「エデンの東」、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」、ヴィヴィアンリーとクラーク・ゲーブルの「風と共に去りぬ」………新聞に宣伝が載ると、いち早く銀座の封切館に出かけた、ワクワク、ドキドキ、胸をときめかせながら。

今では、携帯でも好きな映画を観ることができる。自由に出かけられない人間にとってはうれしいことだ。とはいえ、あの映画館の大きな画面にすっぽり包まれて、アラン・ドロンやジェームス・ディーンに、勝手に恋をしていたあの頃は、平和で幸せだった。

小春日和の散歩、あれこれ思いながら。

小春日和が続いている。朝、出遅れて家を出た時には、外はすでに穏やかなひざしが辺り一面に降り注いでいた。いつもの角で、ふっと今日は左に曲がろうか、と思い左に曲がって歩き出すと、身体がねじ曲がったような感覚に襲われた。チカシが撮った写真でわたしの背中を見ると、確かに背骨が右に歪曲して、頭部が右に傾いている。骨が変形していく病気リウマチだったとはいえ、もっと自分の身体を愛してあげればよかったのに、と歩きながら今更ながら思った。

かつて両側畑だった一本道を車椅子を押していくと、今は立派な門構えの家が建ち並んでいるのに気がついた。どこの家にもガレージがあり、磨かれた自家用車がその家の主です、と自己主張しているように納まっている。ずいぶん時代が変わった。良くなったのか、悪くなったのか………?

小春日和の人気のない午前中の散歩………あれこれ思いながら。

「我あるく故に我あり」

我あるく故に我あり………雲ひとつなく澄み切った秋空に包まれて、ひたすら大地を見つめて歩きなら、心の中で浮かんだ言葉。
昨日は叡の81歳の誕生日。夜、山田せつ子さん、南椌椌さん、杉田丈作さん、齋田美子さん、大森政秀さん、秦宜子さん、上領國資さん、安田さん、山崎広太さん、未奈さん、原仁美さん、禮示さん、浅見裕子さん、瑞丈さん、上村なおかさん、総勢15人が天使館に集まって、叡と私(12月10日80歳)のお誕生日をお祝いしてくれた。

みんな天使館で稽古した仲間たち。フィルムを巻き戻すように記憶の層がほどけてくる。
あの頃、楽しかったね……みんな無邪気だったね………みんな夢中になって踊りの稽古をした……広角泡を飛ばして議論した「展開してみろよ!」………よく呑み、よく笑ったね。

あれから半世紀近く経った………今も、各々自分の物質体という十字架を背負って、踊っている。すごい!

誰かが提案した「次の米寿のお祝いはホテルだ!」そうだよね、みんなも傘寿のお祝いだ。盛大にやろう!

今日は、楽しかった、嬉しかった。美味しかった。ありがとう❣️

「我あるく故に我あり」明日に向かってあるいていこう。

勤労感謝の日に。

素晴らしい青空。今日は「勤労感謝の日」。朝食を府中街道沿いのデニーズで、叡と。
朝の会話………自分以外の家族全員をイスラエル軍の爆撃で殺されたアラブの男性が「自分はイスラエル人を憎まない。なぜなら、憎しみの感情は病いだから」と言ったという話の流れから、叡が「若い頃、土方さんと話していて、彼が何気なくひょっと『ぼくは人を憎んだことはないんだ、カサイクン』と言っていたことを思い出したね」………そういえば、かつて私も土方さんと木造建てのアスベスト館の大きな稽古場の真ん中で、土方さんと二人だけで対峙した時があった。土方さんは毛布にくるまりパイプ椅子にあぐらをかいて座り、真正面から私の目を見つめた。まだ20代だった私はドキドキで、何の話しをしたのだろか、すっかり忘れてしまった。でも、その時の私を見つめるの土方さんの瞳の奥が、子どものように澄んでいて、ちゃめっ気たっぷりだったのを忘れられない。
そこには、いつも稽古の人たちに見せる恐い土方さんではなく、やさしく温かい、気の弱い土方さんがいた。

今、小学生の暴力がふえている、と新聞で読んだ。その理由は、自分の思いを言葉にできないから。

亡くなった詩人の吉岡実さんは、けん玉の名手で、パチンコが大好きだった。あの「四人の僧侶」の大詩人、鳥の目をもつ(私の勝手な思い込み!)吉岡さんが、けん玉に夢中になっている姿を思い描くと、嬉しくなり、愉快になる。

けん玉、おはじき、メンコ、お手玉………私の子どもの頃は、いっぱい遊びがあったのに………。

気がつくと、中庭の残り少ない杏の樹の葉が、晩秋の西陽を受けて金色にかがやいている。もうじき食事介助のヘルパーさんがきてくれる。だんだん自分のことを自分でできなくなってきた。みんなに励まされ、支えられて生きている。

来年の手帳

この季節になると、来年の手帳をどうしよう、と心に浮かぶ。ずいぶん長いこと安野光雅の水彩画を表紙にした文庫手帳を愛用していた。ちょうどいい大きさで中身も使いやすいし、なんといっても安野光雅の絵が素敵で1年間手元において飽きなかった。数十年分の文庫手帳が本棚の片隅に重ねて積んである。
数年前から「ペイジェムリバティプリント A6」に変えたのは、指が不自由になってからだ。ペイジェムは、薄く、ページが見開きにピッタリ開くので、不自由な私の手でも扱いやすい。表紙も私の好きなリバティープリント。でも時期を逸すると私好みの花柄が売り切れてしまうこともあり、12月も近づくとちょっと焦る。手帳とは1年間のお付き合だから、相性がよくなくては、とiPadに出てくる図柄を何度も見比べて注文する。
今頃、デパートの文房具売り場にはさまざさな手帳が並んでいるだろう。かつては、この時期になると鳩居堂、伊東屋、紀伊國屋などを彷徨いて、クリスマスカードをみたり、友達へのプレゼントを選んだり………学校の冬休みに読む本を探したり………楽しかったなぁ…………今は、オンラインでなんでも注文できるので、いいようで、つまらないない、とみんな思わないのかしら???

いつの間にか、キッチンで居眠りしてしまったらしい。こんな呑気な夢から目を覚まして、さぁ、早く「リバティープリントの手帳2025年版」をiPadで注文しなくては。

来年の今頃も、次の年の手帳に頭を悩ますだろうか?